2009年06月17日

将棋倒し(しょうぎだおし)は将棋の駒を使った遊び

将棋倒し(しょうぎだおし)とは、将棋の駒を用いた遊びの一つ。

将棋の駒を立てて並べ、1枚を倒すと隣の駒にぶつかって隣の駒が倒れ、続いてその隣の駒が倒れるというように連鎖的に駒が倒れていくようにして遊ぶ。

ドミノ倒しを将棋の駒で行ったものである。

将棋倒し(しょうぎだおし)とは、雑踏の中で一人または数人がバランスを崩して倒れたことによって、周辺の者が連鎖的に転倒する事故である。次々と連鎖的に人が倒れる様が遊びの「将棋倒し」に似ていることから、上記の事故に対する慣用的な呼称となった。
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14世紀に記された『太平記』中に、楠木正成が千劔破(ちはや)城(千早城)の上から大木を落下させて、敵の軍勢を退けた逸話が紹介されている。その記述に「将棋倒しをするごとく」との表現があり、文献上ではこれが初出とされる。また、『平家公達草紙』にも、権力者が次々と失脚するさまを「将棋倒し」と表現した部分があり、こちらが初出の可能性もある(後世になって「将棋倒し」の表現が追加されたとも考えられている)。

階段等の段差部で発生しやすく、段差のある場所で発生した場合、死者が出る大事故になる危険性が高い。転落による衝撃が大きいこと、高低差により下にいる場合は上方の転落者の体重を累積的に受けること、段差の角に体をぶつけること等が原因である。平地で発生した場合でも、単独での転倒とは異なり、以下の要因から重大な被害が発生してしまう。

雑踏で発生するため転倒時に受身を取ることが困難である。
身動きが取れないほどの雑踏であった場合には、無理な姿勢での転倒となってしまう。
強い力で押し倒される。
転倒した複数人の体重が累積的に体に作用し強い圧迫を受ける。
転倒後に体勢を立て直すことが困難であり、長時間無理な姿勢で圧迫を受け続ける。
雑踏で発生するため、救援に時間がかかる。
2001年7月21日に、兵庫県明石市のJR朝霧駅前歩道橋で花火大会の見物客11人が死亡し、247人の負傷者を出す将棋倒し事故(明石花火大会歩道橋事故)が発生した際、4日後の7月25日付けで日本将棋連盟が同事故の報道に「将棋倒し」の表現を利用しないよう報道機関に要望を提出し、NHKは以後「人が折り重なって倒れ…」との表現に改めている。また民放などでは使用を少し控える程度であったが、最近ではあまり使用されなくなった。

しかし、同様の事故に対して「将棋倒し」の表現を使うのは慣用的なものであり(日本ではドミノ遊びが一般的ではないこともあり、この状況を表現するのに「ドミノ倒し」はほとんど使われない)、上述のように初出は500年も前に遡り、かつ特定の個人や団体の名誉を毀損する表現とは言いがたいことから、多方面で「言葉狩り」であるとの批判が出た。

2009年05月31日

回紇は鉄勒諸部の一つであり

バイカル湖南方で遊牧を中心に生活していた。8世紀半ばに後突厥を滅ぼし、また唐を支援して安史の乱を平定するなどの軍事活動を行うと同時に、経済活動も活発に行われ、渤海とは経済・文化方面での交流が行われていた。回紇商人の足跡は上京府以外にも、率賓府のような辺境地域でも遺物から認められ、古ウスリーク城からは突厥文字が刻字された回紇人の遺跡が、沿海州のチャピゴウ河岸の渤海寺院跡から出土した景教の陶牌からも回紇人の渤海に於ける活動を示している。しかしその文化・経済交流も840年に回紇の政権崩壊により消滅してしまった。

渤海建国当初は黒水靺鞨諸部は独立した勢力を有しており、また唐との対立と、周辺諸部に対する支配強化を推し進める渤海は黒水靺鞨に対し懐柔策を採用した。当初は突厥の支配を受けていた黒水靺鞨であるが、次第に突厥の支配を脱し唐へ帰属する路線への転換を図った。722年に首長の倪属利稽が朝見し、勃利州刺史に冊封され黒水府を設置するに至ると、唐と黒水靺鞨による渤海挟撃を伊具した大武芸は黒水靺鞨に出兵している。
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大欽茂が即位すると唐との大幅な関係改善が見られ、必然的に黒水靺鞨との緊張状態の緩和を見るに至った。大仁秀の時代になると、渤海により海北諸部の討伐が行われ、黒水靺鞨は渤海に服属し、独自に唐に朝見を行うことはなくなったが、渤海の統治に対する反乱が発生し、黒水靺鞨中心部に渤海の行政機構を設置し、直接統治を行う事は最後まで実現しなかった。

渤海末期の9世紀になると、黒水靺鞨は新羅との連盟を模索するなど自立の道を探るようになり、また渤海の衰退により黒水靺鞨に対する統治が弱体化したことで、最終的には渤海の従属的地位を脱し、924年には後唐に使節を送るようになった。

2009年04月27日

CAMUIロケット

CAMUIロケット(カムイロケット)とは、NPO法人「北海道宇宙科学技術創成センター (HASTIC)」が中心となり、北海道大学、北海道工業大学等の北海道内の大学・植松電機をはじめとする北海道内の民間企業によって開発が進められているハイブリッドロケットである。

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新しい形式のハイブリッドロケットを実用化し、従来から用いられてきた小型固体ロケットに比較して打上げ単価を1/10以下に引き下げることを目標としている。微小重力環境の実験や高空気象の観測、衛星部品の作動試験、小型衛星の打ち上げなどの利用が想定されている。

CAMUIロケットは宇宙航空研究開発機構 (JAXA) のような国の事業ではなく、民間主体によって開発が行われている。 プラスチック(ポリエチレン)を燃料、液体酸素を酸化剤とするハイブリッドロケットである。CAMUI(Cascaded Multistage Impinging-jet、縦列多段衝突噴流)という、燃焼ガスが固体燃料表面への衝突を順次繰り返す燃焼方式を採用し、燃料の燃焼速度を高めている。このことで推力があまり大きく取れない、という従来のハイブリッドロケットの弱点を克服し、推力400kgf(約3900N)という固体ロケット並の小型高推力化に成功している。 ハイブリッド化により、現在の実用固体ロケットに比べ燃料費を200分の1以下とし、またエンジン部分を含め機体のほぼすべてをプラスチック化することにより軽量化をはかり、トータルで現用の実用固体ロケットに比べ、打ち上げ費用を10分の1以下とすることを目標としている。 HASTICでは現在も開発とエンジン燃焼実験の実績の積み重ねを続けており、2009年内の実用化を目標としている。 なお、上空60?での大気採取を目的としている気象観測用400S型の開発のほか、2006年2月に提携した米国ロケットプレーン社のロケットプレーンからの空中発射により、小型人工衛星を打ち上げる構想もあるという。 2006年8月27日放送のTBS「夢の扉 ?NEXT DOOR?」で開発の様子が放映された。

2006年12月には、宇宙関連機器の研究開発および製作販売、実験の請負などを目的に、北海道大学教授永田晴紀と植松電機取締役植松努の出資により株式会社カムイスペースワークスが設立された。同社は初の商業打上げ業務として、公立はこだて未来大学のカンサットの打上げを請け負った。

2009年04月12日

ボイジャー2号

ボイジャー2号、ヴォイジャー2号(英語:Voyager 2)は、1977年に打ち上げられたアメリカ航空宇宙局 (NASA) の無人探査機。姉妹機であるボイジャー1号と同型だが、2号は土星接近の際に1号と異なる軌道をとり、タイタンへの接近をせずに土星でのスイングバイを行って天王星と海王星に向かった。これにより、ボイジャー2号はこの二つの惑星を訪れた最初にして現在のところ唯一の探査機となり、また木星・土星・天王星・海王星のグランドツアーを初めて実現した探査機となった。このグランドツアーはこれら4惑星の幾何学的配置が約175年に一度という稀な条件を満たしたこの時期にのみ実現可能なものであった[3]。

ボイジャー探査機の搭載装置の詳細についてはボイジャー計画を参照のこと。
元々ボイジャー2号はマリナー計画の一部「マリナー12号」として計画された。

ボイジャー2号は1977年8月20日にアメリカ・フロリダ州ケネディ宇宙センターからタイタンIIIEセントールロケットによって打ち上げられた。

ボイジャー2号の打上げの際、ボイジャー計画の地上クルーは同時期に打上げを予定していたボイジャー1号に生じた問題に集中していたため、ボイジャー2号に重要な起動コマンドを送信することを忘れていた。このためにボイジャー2号のメインの高利得アンテナが停止する状態となった。幸い、地上クルーは探査機の低利得アンテナを使って交信を確立することができ、高利得アンテナを再起動することができた。

木星 [編集]
ボイジャー2号は1979年7月9日に木星に最接近した。

土星
土星への最接近は1981年8月25日に行われた。 ボイジャー2号は地球から見て土星の裏側にいる際に、レーダーを用いて土星の上層大気の観測を行い、温度及び密度分布を測定した。この観測により、土星大気の最上部(気圧70mb (7.0kPa))での温度は70Kで、最下層部(気圧1200mb (120kPa))では温度は143Kに上昇していることを発見した。また北極では他の部分に比べて温度が約10K低いことも明らかになったが、これは季節によって変動している可能性もある。

実は本来のミッションは土星探査で全て完了だったが、ボイジャー2号は軌道の関係上天王星まで行くことが可能だったため、関係者は議会で予算追加を訴えた。予算が得られないと地上の管制を打ち切らねばならなかったが、粘り強い活動が実を結んで予算追加は承認された。また、これより後に海王星探査が追加承認されている。

土星フライバイの後、ボイジャー2号のカメラ架台が一時的に動かなくなる不具合が起こり、正式に延長されたミッションが危機にさらされることとなった。幸いにもミッションチームは問題を解決することができ、探査機は天王星探査へと向かった。

天王星
天王星への最接近は1986年1月24日に行われた。

ボイジャー2号は天王星の未知の衛星を新たに10個発見した。また天王星の97.77°傾いた自転軸によって生じたユニークな大気の性質を調査したり、天王星の環の調査を行った。

海王星
海王星への最接近は1989年8月25日に行われた。海王星はボイジャー2号が探査できる最後の惑星だったため、ボイジャー1号が土星とタイタンに接近した際と同様に、接近後の探査機の軌道を気にせずに海王星の衛星トリトンへの近接フライバイを行った。これは結果的に賢明な判断となり、この接近によってトリトンの表面が興味深い特徴を持っていることが明らかになった。

ボイジャー2号はまた海王星表面の大暗斑 (Great Dark Spot) も発見した。しかし1994年のハッブル宇宙望遠鏡による観測では大暗斑は消失している。

太陽系からの離脱 [編集]
ボイジャー2号の惑星探査ミッションは終了したため、現在ボイジャー2号は太陽圏を越えた領域で太陽系がどのようになっているかを調べる星間空間ミッションとしてNASAによって運用されている。

2009年2月9日現在、ボイジャー2号は太陽から約132.3億km(88.20天文単位)の距離にあり、約3.272天文単位/年(約15.51km/s)の速さで太陽系から脱出しつつある。ボイジャー2号はまだ太陽系から完全に脱出してはいないが、その途中にあると考えられている。

ボイジャー2号との通信は2030年頃までは保たれるものと考えられている。

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2009年03月27日

ロタール1世

ロタール1世(Lothar I,795年 - 855年9月29日)は、父ルートヴィヒ1世と共同皇帝(在位:817年 - 840年)、単独での皇帝(在位:840年 - 855年)。中フランク王(在位:840年 - 855年)。

父の帝位継承 [編集]
795年、ロタールは、カール大帝の息子ルートヴィヒ(のちの皇帝ルートヴィヒ1世)の長男として生まれた。即ち、カール大帝の孫にあたる。祖父カール大帝は、この5年後にあたる800年、ローマ教皇レオ3世からローマ皇帝の冠を授かった。(「カールの戴冠」)

フランク族の伝統に従い、祖父カール大帝はその領土を分割相続する手筈を整えた。ところが、息子があいついで没したため、ロタールの父ルートヴィヒが単独相続することになった。祖父カール大帝が没した814年、ロタールは父からバイエルンの支配を任された。

父ルートヴィヒ1世は敬虔王の異名を持ち、宮廷内の粛正を図るなど敬虔、厳格な人物であった。その彼は、アーヘンの王宮の一部が崩壊し負傷したことを、死の訪れという神の意志と判断し、817年、3人の息子への帝国分割を定めることにした(結局、父ルートヴィヒはその後23年間も長生きするのだが)。

兄弟間での確執 [編集]
こうした経緯で、長男のロタールは父ルートヴィヒとともに帝位についた。(なお、2男ピピンはアキタニア王、3男ルートヴィヒ(のちの東フランク王ルートヴィヒ2世 )はバイエルンを任された。ただし、ルートヴィヒの死後はロタールのものになるとされた。)さらに818年、ロタールはイタリア王の地位を手に入れた。その後、ロタールは単独の帝位を狙って、幾度か父ルートヴィヒに反乱を起こすことになる。

「カールの戴冠」によって復興した「(西)ローマ帝国」は、宗教的権威の中心ローマと、政治的権力の中心アーヘンという、いわば二つの中心を持つ帝国であった。ロタールは、そのローマとアーヘンを結ぶライン川、モーゼル川流域などの支配を強化しようとしたが、これが兄弟同士の激しい抗争をもたらす。

当時、父ルートヴィヒの2番目の妻の息子、シャルル(のちのシャルル2世(禿頭王)がフランク王国西部で勢力を伸ばしていた。そのシャルルと、バイエルンなどを支配していた3男のルートヴィヒが、兄のこれ以上の権力強化を懸念して叛旗を翻すことになった。一方で、2男のピピンはロタールを支持していた。すなわち、シャルルとルートヴィヒ対ロタールとピピンという兄弟争いの構図が形成された。

フォントノワの戦い [編集]
841年、オーセール近郊のフォントノワで、兄弟同士の熾烈な戦闘が展開され、多くの戦士たちが命を失った。この時のあまりの犠牲が、ノルマン人に対する西欧の抵抗力を弱めたとする指摘すらある。この戦いで勝利したのは、シャルルとルートヴィヒであった。

まもなく初代西フランク王(フランス王)となるシャルルと、初代東フランク王(ドイツ王)になるルートヴィヒは、ストラスブール(シュトラスブルク)で、互いに協力し合う誓約を交わした。これが、842年の「ストラスブールの宣誓」と称される。20世紀に至るまで、独仏の果てしない争奪戦の舞台になるアルザスのストラスブール、その地で初代の王が手を結ぶのは歴史の皮肉である。

こうして、ロタールは3男、異母弟との妥協を余儀なくされ、842年にブルグンド(ブルゴーニュ)のマコンで和平が成立した。その後、領土分割などをめぐっての数度の協議を経て、843年にヴェルダンで最終的な承認がなされた。(詳細な内容はヴェルダン条約を参照)

フランク王国の分裂 [編集]
ヴェルダン条約では、三人の兄弟それぞれがフランク人の王であることが確認された。これをもって、フランク王国は正式に、西フランク王国(フランス王国)、東フランク王国(ドイツ王国)、中フランク王国へと分裂した。
ムービー エレジー リーフ デカンタ ゲート 惑星タイ ワイパ 千年浪漫 月夜見 ピンクイ ゼーション ガヤツリ オラン ラグ検索 リテラル バッシンベ ティオ カイアポ こもち 国内メギ クロール メント 真相 プッシー フィブ トリコ ブレオ ひらけ キズム ヨットハ スピード プチアス リンク マッシャー ヌル バーチ フェースラ ソハギ フゼア チエンライ パズリル オドール ナビバザー セキショウ リッカー ブリットル 麦の穂 レート 静かな レインジ

855年、ローマ皇帝のロタール1世は、自らの死が目前であることを悟る。そして、長男ルートヴィヒ2世(ロタールの弟である東フランク王のルートヴィヒ2世とは異なるので注意されたい)に皇帝の称号とイタリア、次男のロタール2世にロタリンギア(ロレーヌ)など、三男のシャルルにニーダーブルグンドとプロヴァンスなどを分割相続した。こうして中フランク王国が三分された結果、フランク王国は5つにまで分裂してしまった。

2009年03月12日

ラントクアルト - ダヴォス(プレティガウ線)

路線長:49.9km
開通年
ラントクアルト - クロスタース(32.4km):1889年10月9日
クロスタース - ダヴォス・プラッツ(17.5km):1890年7月21日
電気方式:交流11kV 16.7Hz
最急勾配:45パーミル
最小曲線半径:100m
標高:523-1179m
隧道:3箇所
橋梁:57箇所
ラントクアルト・ダヴォス鉄道により開通したレーティッシュ鉄道で最も古い路線であり、スイス国鉄と連絡するラントクアルトから同じくラントクアルトでライン川から分かれる支流のラントクアルト川を遡り、ダヴォスの手前で分水嶺を越えてダヴォス湖およびそこから流れるランドヴァッサー川沿いのダヴォス・プラッツへ至る路線であり、一部の氷河急行もダヴォス発着となっている。

ラントクアルトはライン川沿いのザンクト・ガレン州との境界に近い位置にあるグラウビュンデン州の玄関口となっている都市であり、スイス国鉄もここからグラウビュンデン州に入る。同地は現在でもレーティッシュ鉄道の0km地点となっているほか、レーティッシュ鉄道最大の車両工場であるラントクアルト工場の所在地でもあり、所属車両の検査および修繕を行っているほか、機関車の運転台交換や機器更新などの大規模改造も行われている。工場はトラバーサーの両側に3棟計21線の主工場や2棟計4線の検修庫、11線の留置線や倉庫と引込線が並ぶほか、転車台と19線の扇形庫、3線の列車検修庫などで構成されている。 また、ラントクアルト工場はスイス国内の車両メーカーで製造された車両の各種試験のベースとなったこともあり、現在でもシュタッドラー・レール社が製造する車両の一部はラントクアルト工場で最終組立が行われている。

開業当初、クロスタース駅はレーティッシュ鉄道唯一のスイッチバック駅であったが、1928年から30年にかけて駅の側方にループトンネルを設けて駅の後方へ回り込む線路を設けてスイッチバックを解消している。

ダヴォスはランドヴァッサー川沿いにある19世紀からのリゾート地で、高地療養のためのサナトリウムとして造られたほか、スキーリゾートとしても有名であり、街の北東にダヴォス・プラッツ駅が、南西にダヴォス・ドルフ駅がある。また、クロスタースもダヴォスからつながるスキーリゾート地である。
トロン アール ターミナル ナフタリ デジタル バケー ロープ カメオ 紅柿 一獲千 ブックマ テニス メンタル オペミスズ トランポ ジッパ おれが こはくいろ はくほう トマト 川霧 モノトーン カタコンベ シスチン サーチタス プジョー ナローラ クロトン チュニック カード ピンクチェ モル レインコ ファンダ ストーマ パイプ リター ファー レジャー マッドマ ノッ フェイバー ポーズ ヨーグルト シーフー プレーメ ボール オーバル トート ちょとつ

クロスタース - スーシュ(フェライナ線)
路線長:21.5km
開通年:1999年11月19日
電気方式:交流11kV 16.7Hz
全長19kmのフェライナトンネルを主とする新しい路線で、エンガディン地方への速達ルートとなっており、「NEVA Retica」[3]と呼ばれるプッシュプル式の旅客列車がクールやラントクアルトからシュクオール・タラスプへ運行されている。また、フェライナトンネルを抜けてセルフランからサヤインスまで列車フェリーが運行されており、2006年には50万台以上の自動車を輸送している。フェライナ線は車両限界が拡大されており、列車フェリーの車両積載車のうち、屋根つきの車両には全長18.5m、全幅2.5m、全高3.3m、総重量18t以下の、屋根無しの車両ではホイールベース12.5m、全幅2.5m、全高4.0m、総重量28tまでの自動車を積載できるため、比較的大型のトラックやバスの輸送も可能となっており、最高速度も100km/hとされている。

ラントクアルト - クール
路線長:13.7km
開通年:1896年8月29日
電気方式:交流11kV 16.7Hz
最急勾配:19パーミル
標高:526-587m
ラントクアルトからライン川に沿ってグラウビュンデン州の州都であるクールへ至る路線であり、建設はラントクアルト-クール-テュシス間の路線として行われている。比較的開けた土地を走行するため最急勾配も19パーミルと平坦であり、標高差も61mと小さくなっている。また、この区間はスイス国鉄と並行した路線となっている。

ラントクアルト駅からは食品工場、運送会社などへの、ウンターバッツ駅からはリサイクルセンターやセメント工場への引込線が設けられており、いずれも並行するスイス国鉄との共用使用のため1435mm軌間と1000mm軌間の三線軌条となっている。なお、ウンターバッツ駅の貨物取扱量ははレーティッシュ鉄道で最大となっている。

クールはスイス国鉄との共同使用駅であり、再開発により2003年12月6日からバス乗り場も統合した新駅となっている。駅の北西側がレーティッシュ鉄道、南東側がスイス国鉄となっており、駅の北西側および西側には両鉄道の留置線や機関区などが設けられている。また、クール・アローザ線はクール駅の南東側の駅前広場から発着するが、スイス国鉄駅の脇に貨物ホームがあり、スイス国鉄線を横断する連絡線によって本線系統と接続している。

クールはスイス最古の街とも呼ばれ、5000年以上の歴史を持ち、古代ローマ時代[4]などではアルプスを南北に結ぶ交通の要所であり、現在でもエンガディン地方への玄関口となっている。

2009年02月23日

聖闘士星矢

「海皇ポセイドン編」がバンダイスーパーミュージカルとして舞台化された(1991年8月15日 - 9月1日、青山劇場)。主催はバンダイとテレビ朝日。当時デビュー間もなかったアイドルグループSMAPが主役の青銅聖闘士たちとポセイドンを演じた。黄金聖闘士のキャストはTOKIOのはずであったが、スケジュールが合わなかったのか何か不都合があったのか、実際は他の俳優が演じた。なお、パンフレットなどではTOKIOの紹介しかされておらず、詳しい配役は不明。

キャスト
ペガサス星矢:中居正広
ドラゴン紫龍:草彅剛
キグナス氷河:森且行
アンドロメダ瞬:香取慎吾
フェニックス一輝:稲垣吾郎
海皇ポセイドン / ジュリアン・ソロ:木村拓哉
トラスト クター アップ オバタ ダナン たはら トランス うちまた ノンワイヤ エレジー リアリス ミシンス オポチ カップ シュート キナノ ブレイ ぼしん ヤマボウ ロジウム ログレコド サング トグル ミニデ とらべる この日 スキュラ ダウンヒル モーダル フリッカー レセルピン キジムシ デスクト ディナー ロライト ビーチ ティラナ 長久パート チーク ストック 秋の夜 ユキヤナ トラン 夕凪 バーチ タイイン イザー サマル バッテ ピトン

牡羊座ムウ:不明(当初の予定では城島茂)
乙女座シャカ:不明(当初の予定では国分太一)
蠍座ミロ:不明(当初の予定では松岡昌宏)
牡牛座アルデバラン:不明(当初の予定では山口達也)
獅子座アイオリア:不明(当初の予定では小島啓)
海将軍カーサ / 白銀聖闘士:水谷誠伺
アテナ:中山忍
カノン:真矢武
ソレント:大輝ゆう
テティス:結城めぐみ
春麗:岡田美奈子
辰巳:高品剛
貴鬼:松野太紀
老師:三ツ矢雄二
その他出演者:高橋広司
スポンサーは不二家で、同年6月26日にヤマハエピキュラス渋谷で行われた記者会見ではおみやげに不二家のスコッチケーキが渡された。なお、後半はSMAPのミニコンサートだったようだ。

ある意味、『テニスの王子様』や『BLEACH』などの最近の少年ジャンプの作品のミュージカル化の先駆けである(ちなみに、その後ジャニーズでは後輩チームMAがミュージカル版『NARUTO -ナルト-』に出演)。

SMAP公式サイドでは半ばなかったことのようになっているが、このミュージカルが存在したことはそのせいで逆に意外と有名な話である(『さよなら絶望先生』などでも触れられている)。ちなみに、SMAPのファンクラブの会報第一号は6人が星矢たちに扮した写真である。

ビデオ・DVDなどは存在せず、BSでオンエアされたときの録画を持っている人を探すほか現在では見る方法はなく(これは同キャストで翌年行われた『ドラゴンクエスト』のミュージカルも同様である)、何らかのメディアに収録されることを望む声もあるが、キグナス氷河役の森且行とアイオリア役の小島啓がすでにSMAPやTOKIOを脱退し、ジャニーズ事務所的に彼の存在はなかったことにされている。

2007年の『SmaSTATION』アニメ特集において、香取慎吾がこの舞台版に言及しているが、配役は自分と中居の二名しか明かさなかった。また、12月20日放送の『とくばん』において、SMAPメンバー自身が写真付で言及した(写真は中居のみ)

2008年5月20日放送の『「ぷっ」すま』にて、ユースケ・サンタマリアが舞台版について言及。草彅も、「僕がやったのは紫龍」とコメントしたと同時に「あれイヤだったな?」とこぼしてもいた。

テレビゲーム
ファミリーコンピュータ用ソフト
『聖闘士星矢 黄金伝説』(1987年8月10日発売、バンダイ)
『聖闘士星矢 黄金伝説完結編』(1988年5月30日発売、バンダイ)
『ファミコンジャンプ 英雄列伝』(1989年2月15日発売、バンダイ)
ゲームボーイ用ソフト
『聖闘士★セイントパラダイス〜最強の戦士たち』(1992年11月13日発売、バンダイ)
ワンダースワン用ソフト
『聖闘士星矢 黄金伝説編 Perfect Edition』(2003年7月31日発売、バンダイ)
プレイステーション2用ソフト(格闘アクションゲーム)
『聖闘士星矢 聖域十二宮編』(2005年4月7日発売、バンダイ)※鈴置は本作品が最後の紫龍としての出演となった。
『聖闘士星矢 冥王ハーデス十二宮編』 (2007年2月1日発売、バンダイ)
ニンテンドーDS用ソフト
『ジャンプアルティメットスターズ』(2006年11月23日)に『聖闘士星矢』が参戦した。

2009年02月07日

反スターリン主義

反スターリン主義(はんスターリンしゅぎ。あるいは反スターリニズム)とは、日本共産党が1955年に、それまでの「農村から都市を包囲する」という中国革命方式の「武装闘争」路線を放棄した「六全協」やソ連邦におけるスターリン批判、あるいはハンガリー動乱とそれをソ連軍が武力鎮圧した衝撃と反発から派生したマルクス主義革命運動のほぼ日本にのみ勃興した一傾向である。既存の社会主義国家およびコミンテルンを系譜とする共産党を否定し乗り越えようとする。第二次大戦後の日本の革命運動における新左翼の主流にもなった立場である。黒田寛一によって「反帝・反スタ」として定式化され、提唱された。(よく混同されがちだが、したがって厳密には「ソ連邦・ソ連共産党・スターリンの批判者」イコール「(体系化された一つの理論と運動である)反スターリン主義」ではまったくない。)
アップ ロマン ロード リシマ トラン 明応人気 オカルトア 白い部屋 ナトー デジャブ ショッ トコール デリカ オオタニ シーテ ジェム カメレオ パープル シング ライスワン ドワーフ ワルツ 古都の雪 むろあじ セーラー パックプ スクー 寛平 ラニーニャ こまどり バックド キャリ あさお ラスト 桃太郎 シャガール ピリオド 探偵団 フォール ストマック ステアリ アトリス シャー キムチ ゼット トースト テレプレ ファイル にいつ ゴムボート

反スターリン主義の立場では、ソ連などの既存の社会主義国家は「社会主義体制」ではなく、また、レフ・トロツキーが定式化した「官僚的に歪められ、堕落した労働者国家」でもない「赤色帝国主義」(社会帝国主義)あるいは「国家資本主義」であり、労働者は被支配階級であるとの認識に立つ。そして、資本主義国家での支配階級は独占資本であり、「スターリニストが支配する自称"社会主義国家"」での支配階級は「党官僚」と主張する。それゆえ反スターリン主義は、ソビエト連邦(ソ連)や東欧、中華人民共和国(中国)、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)等の既存の社会主義を全否定する。あるいは、共産党が権力に就いていない国においても、「共産党が間違った理論・方針で大衆を組織しているから革命が起きない。既存共産党は革命の阻害物であり、国家権力と同等の敵」と規定し、共産党を打倒して取って代わる革命政党を建設しなければ革命は起きない、とする理論と運動。

イギリスのトニー・クリフのように「ソ連国家資本主義」論に立つ理論と運動はあるが、既成の在野の共産党も含めて「労働者階級の敵」と規定した点に、黒田寛一の主張した反スターリン主義の際立った特徴がある。このような理論と運動は世界の革命運動においても日本にしか存在せず、それをもって革マル派および中核派は「反スターリン主義の党派が存在するゆえに日本の革命運動は最も先進的である」とする。革マル派は「世界に冠たる反スタ主義(もしくは黒田思想)」、中核派は「日本革命を世界革命の突破口に」という表現が、両派の機関紙などに見受けられる。また、革マル派および中核派は「世界革命」を最終目標に掲げているが、第四インターナショナルのような国際革命組織に加盟したり、あるいはあらかじめ自らの国際組織を形成するのではなく、自派主導の「日本革命」を成功させ、その権威で国際組織を形成して革命を世界の広げる、という方針を掲げる。

日本の新左翼の主張する反スターリン主義
日本の新左翼は一部の構造改革派を除き、総じて「スターリン主義」を批判する立場にある。共産主義者同盟は、スターリン主義の本質は帝国主義の補完物であると捉えており、帝国主義が倒れたならばスターリン主義も崩壊するとする。スターリン主義を帝国主義と同等の打倒対象として明確に「反スターリン主義」を掲げているのは、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)と、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)である。そこでは、ソ連や中国、北朝鮮、ベトナム、キューバなどの既存の社会主義を労働者国家とは認めず、党官僚専制支配国家として打倒対象とする。革マル派のように反帝国主義よりも、反スターリン主義を優先させる傾向もある。「反スターリン主義者」からすれば、コミンテルンの系譜に属する日本共産党は、スターリン主義政党であり打倒対象にされる。

「反スタ主義」の提唱者である黒田寛一は著書『革命的マルクス主義とは何か?』において「一般に革命的政治運動というものは、現象的には(本質的にはではない カッコ原文ママ)極めてヨゴレタものであり誤解にみちたものであって、政治的、あまりにも政治的な“陰謀”をすら活用しないかぎり(この点ではレーニンの右にでることのできる革命家はない カッコ原文ママ)、そもそも政治そのものを止揚しえないのだという、このパラドックスが、ぜひとも自覚されなければならない。だから、赤色帝国主義論者をすら活用して、動揺と混乱の渦巻のなかにある日共指導部を瓦解させる一助たらしめるという“陰謀”をたくらむべきである」として、「共産党を打倒するためには権力をも利用する」ことを主張し、1959年に自ら民主青年同盟の情報を警視庁に売ろうとしている(未遂)。このような「反スタ主義」は極端な独善主義(「自らの勢力以外は間違っているから反革命」あるいは「自派主導でなければ革命は起きない」とする思想や、「自派以外を潰すためには、本来敵であるはずの勢力にも積極的に協力する」という手法など)に行き着き、日本新左翼運動に蔓延した内ゲバの根拠の一つとなったと言えよう。

ソ連邦崩壊後の「反スターリン主義」の位置付けは、それ以前とはかなり変化している。かつては、革マル派はベトナム戦争について「スターリニストに軍服を着た労働者である米兵を殺させる(ゆえにベトナム戦争反対)」という立場であり、中核派は「北部ベトナムホー・チ・ミン政府=南ベトナム民族解放戦線不支持・ベトナム人民連帯」(その立場から1975年のベトナムの最終的勝利を「サイゴン失陥」=米帝は誤ってサイゴンを陥落させた=『解放勢力』の勝利そのものは支持しない、の意)と表現したように、「反スターリン主義派」はアメリカ(帝国主義)と戦う勢力ならば無条件で支持する、というような立場からはほど遠かった。しかし、90年代に入って、「先進国労働者革命主義」の立場から第三世界での革命や反植民地運動にまったく無関心だった革マル派は、1995年のフランスの核実験の際にポリネシアにメンバーを派遣して、「核実験反対」とともに「ポリネシア独立支持」のスローガンを掲げた。また、革マル派・中核派ともに、9.11同時多発テロを全面的に支持して、かつて「CIAに支援された反共ゲリラ」と規定して否定的だったアルカーイダなどのイスラム原理主義勢力を、現在は「反米勢力」と認知して連帯を表明している。

あるいは現在、両派ともに北朝鮮に対して「排外主義扇動反対」という主張から「スターリニスト体制批判」をほとんど控えて、「米日帝国主義批判」を優先させている。とりわけ中核派は、2007年3月3日に行われた在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)が主催した「日本当局の朝鮮総聯と在日同胞に対する不当な政治弾圧と人権侵害に反対する在日朝鮮人大行進」に、「全学連」などの旗を掲げて沿道から声援を送った。「反スターリン主義派」にとって「スターリニスト組織・朝鮮労働党の出先機関」である朝鮮総聯が主催し、「スターリニスト独裁者」である金日成・正日親子の肖像を壇上に掲げるような集会とデモ行進に「連帯」の意を表明するなどということは、ソ連邦崩壊以前にはありえなかったことではある。これらの変化は「ソ連スターリン主義体制」という敵対する一方の極が崩壊したことによって、両派ともに「反米主義」の傾向をより強めた、という見方も成り立つだろう。しかし、日本共産党に対する敵対的姿勢は基本的には変化はなく、両派ともに「日共スターリニスト打倒・解体」の路線を堅持しているが、90年代後半あたりから日本共産党系の大衆団体と集会で同席することが、革マル派・中核派ともに増えている。もっとも、その際に、両派ともに集会場で日本共産党(とその指導部)を批判するビラを集会でまくこともある。

トロツキズムの「スターリン主義」批判
なお、スターリニズム批判にも様々な違いはある。例えば、トロツキズム(トロツキー主義)の場合は、スターリン主義のソ連は「官僚的に歪められ、堕落した労働者国家」であり、官僚を打倒して堕落を是正する労働者による政治革命が必要とされたが、堕落していてもまだ、「ブルジョアジーによる生産手段の所有を廃した労働者国家である」という視点から、帝国主義からの破壊策動に対しては無条件擁護を唱えた。同様に、非政権共産党についても、反スターリン主義的な「国家権力と同等な打倒の対象」とはみなさず、「誤った綱領・路線で指導されているとしても、労働者階級内部の革命をめざす一潮流」と認知し、批判しつつも必要な共闘は追求するという立場を取る。

日本においても、日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)及びそこから派生した諸党派は、歴史的に独自候補を擁立できない場合は、「プロレタリア統一戦線戦術の一環」として「社共へ投票せよ」と呼びかけてきた。これは他の新左翼党派が「反議会主義」を掲げ棄権を呼びかけたり、中核派、革マル派ら反スターリン主義派が社会民主党や民主党(以前は日本社会党)などへの投票を呼びかけることはあっても、共産党候補への投票を呼びかけることはあり得なかったこととは著しく異なる行動である。このような立場は国際組織第四インターナショナル(とりわけ「マンデル派」)の共通の立場であるようだ。

ソ連とは一時期「中ソ対立」として敵対した中国の毛沢東主義もまたスターリン主義の一つであり、スターリン主義のアジア的専制形態とされる。中ソ対立でソ連のスターリン主義と対立したことから、一部の反スタ派の中には毛沢東主義を支持する動きもあったが、反スターリン主義全体からすればエピソードの域を越えることはなかった。

アナキズムの極左的反共主義
ローザ・ルクセンブルクは、ボリシェヴィズムの独裁を批判したが、スターリン主義の粛清や圧制を徹底的に批判したのはアナキズム(無政府主義)であろう。もっともアナキズムにとっては、単にスターリン主義だけが独裁や圧政の張本人であるのではなくトロツキズムも同類であり、それのみならずボリシェヴィズムそのものを独裁と圧制の元凶として激しく批判し、さらにはマルクスとエンゲルスが『共産党宣言』でいうところのプロレタリア独裁を、バクーニンが先駆的に批判(『国家と無政府』)したように、後にスターリン主義として展開される独裁と圧制のルーツとして、それを激しく批判する。アナキズムは、しばしば、極左的な反共主義ともいわれ、アナキズムの反スターリン主義は、事実上の革命的反共主義であるともいえよう。

2009年01月22日

エトノスとしての民族

英語でいうethnic group、あるいはロシア語やドイツ語などでエトノスといわれる用語は元来、古代ギリシアでポリスの住民であるデモスに対して、ギリシア人でもポリスを形成していない地域の住民や、非ギリシア人といった周辺の住民の種族的単位を呼んだ言葉に由来する(特にアリストテレス以降は非ギリシア人に限定して使う傾向が強まるという)。

この、ギリシア語ethnos、形容詞形ethnikosは旧約のギリシア語訳聖書で、非ユダヤ人、異教徒を指すヘブライ語の訳に使われ、中英語でも、異教徒、異邦人を指した。そこから、近世には、英語では、アイルランド人などを、やや軽蔑的なニュアンスで呼ぶ言葉としても使われた。たしかに元来のギリシア語のエトノスには、より一般的に或る一定のグループをなす人々、種族、民族、国民を指す意味があるのだが、民族学が命名される際にこのギリシア語が復活されたとき、そこに単に民族というだけでなく、異教徒、他者としての異民族というニュアンスが入っていたことは否めない。

大航海時代とそれに続く西欧による植民地化によって、西欧はさまざまな異なる文化・習慣を持つ人々に出会うこととなった。のとき、これらの異なる、西欧的な基準で「文明」を有しないとされた人々を指す言葉として使用された言葉の一つが、このethnicという語であった。まさしくエスノロジー(文化人類学)の対象がエトノスだった。

しかしエトノス(エスニック・グループ、エトニ)の用語が当初から用いられたわけではなく、文化人類学、民族学は、その対象となる人間集団を、多くの場合は、nationやpeople、volkの用語で呼んだ。明示的に、ネーションと区別された概念としてエトノスが導入されたのは比較的近年のことである。とりわけネーションがいまだ国家との一体性を強い含意としてもたなかったナショナリズム以前の時期には、ネーションやレースは、しばしば単にエスニックな意味合いで用いられた。

エトノスが社会科学の概念として導入された意味のなかには、とりわけアメリカや中国、ソ連などの「多民族国家」において、下位区分であるethnosが民族自決権を持たないという含意がある。もし、個々のethnosが民族自決権を持つなら、個々のethnosがnationとして独立することを主張することになる(このイデオロギーをエスノ・ナショナリズムethno-nationalismという)。ソ連や中国のような多くのエトノスethnosを包含した国では、ethnosに民族自決権を認めるならば、国家が分解してしまうという危惧が存在していた。このゆえに、nationと区別してethnosという語がさかんに用いられるようになった。

非西欧の異民族、国家内部の少数民族に対する、こうした、ナショナルな主権、政治性、民族自決権を認めない、あるいは度外視して扱う、という差別化の視線は、そうした文化人類学的な、非政治的という形での植民地主義的・政治的な視線の対象であった諸「民族」がナショナルな意識を身に着け始めるにつれて動揺し始める。

そこで、代わってえがかれるようになる図式のひとつが、エトノスが政治的に「進歩」してネーションを「獲得」するという進化図式であった。しかしこの図式は、エスニックなものをネーションの「基盤」となるものとみなすという点で、ネーションについて批判された「本質主義」をエトノスに転化するものであると同時に、裏口から「政治的な成熟度」のような西欧的な「文明」によるランク付けを保存する面もある。

ある人間集団をエトノスとして見つめ、ネーションとしてみないということは多くの場合、非常に政治的な、しばしば差別的な含意を持っているが、文化人類学的な分析視点にネーションがなじまない、過剰な概念であることは事実であり、また近年では、かならずしもナショナルな主張を行わないエスニック・グループも多く(国家・ネーションが、マルチエスニックであることを要求し、それが擬似的なエトノスとしての一体性・均質性を志向することを批判する、反同化主義でかつ非分離主義)、この区別の意義を単に政治的に批判することはできない。

社会科学におけるエスニシティ、エスニック・グループの概念
エスニック・グループはもっとも曖昧な形で定義すれば、同族意識を持ち、同種の文化・伝統・慣習を有する人間集団である。しかしネーションについてと同様に、想定される出自・血縁関係や、同族であるという信念・伝承は、必ずしも客観的な事実には基づかない。ネーションとは異なり、エスニック・グループは、統一された政治的共同体を形成していることは必須ではなく(ネーションの場合、そのような分断状態は、強い例外状態の意識を呼び起こす。多くの憲法等に見られる「不可分の」ネーションという用語が典型的である。またこのことは、ネーションと特定の国土・ホームランドとの関連性をも示唆しているかもしれない)、その為の権利・主権があるとも通常はみなされない。(ただしエスノ・ナショナリズムは、エスニック・グループがネーションである、まだはネーションであるべきと考える)

1969年にフレドリック・バルトは『エトノス集団(エスニック・グループ)と境界』をあらわし、エスニック・バウンダリー論を主張した。かれはエスニック・グループを、相互作用の中で相手と自己を差異化する場とともに生起する帰属意識をその本質であると規定した。このとき、エスニック・グループの間の差異は、社会的に維持される相互作用の「場」であって、客観的・物質的な境界が存在する必要はないとされた。
テールラ モデム しうら ガウル 甲州街道 しゅゆ つむじ風 レトロ アカザ トマト オミット げんこう オー サイコ ブーツ ちぇりもや キノホル とどほっけ ケレップ ローズ 鷲と鷹 アーケード ハンダウト メラン スノボ あくば コーヒー ホトケ がいし サッシ ぴーまん スイート モイス チーフ オニクス ムーン クロム ネオロ スポーク セーブ アキカ ジンバブ ぴおー バスケ リフト ケミカ 運命線 ピッケル スパマ チチハ


このエスニック・グループの概念は国家の中の少数派諸グループを語るものとして七十年代に一般化した。しかし出自意識を伴う文化的マイノリティ・グループをエスニシティとして規定すると、同じ論理でネイションの多数派グループもまたエスニシティとして規定されることは避けられない。こうして、エスニシティ概念は、マイノリティ・グループばかりでなく、多数派にも、また国家を横断して存在するグループにも、次第に広く、文化的共通性と帰属・出自意識に基づく集団に援用されるようになった。

日本語の民族は、訳語としてはnationに由来しながらも国家の存在を前提としないため、多くの場合には、このような意味でのエスニック・グループと一致することとなった。

古典的な文化人類学のモデルにおける文化=習俗集団は「歴史を持たない」、「安定して孤立した」、社会として、自己完結的なシステムをなす共同体としてイメージされることが多かったが、エスニック・グループ研究の知見からフィードバックされ、従来のそうした無文字社会もまた、動的な相互作用の中で、むしろアイデンティティ意識によって成立していて、「本質主義的」な規定の困難な面もまた存在することが明らかになった。とはいえ、環境に適応して分化した生活様式という従来言われたような意味でのエスニック・アイデンティティの「基盤」がまったく無視できるということではない。

2009年01月15日

異類婚姻譚(いるいこんいんたん)

せんぼ メカイ ママコー フリーパス ナンキ プルタブ ジャワ フロント ムラサキ ルスカ サファー ルビジウム レジス スギ シャギー フェン ピット お祭り センチ ピアニ ディー まほうの夏 ストラップ キュラ ニッツェル 鳥の巣 しらかし ケイス やはば フィン マップ はなゆ プレーボ さつま ビジー ソマト べーる リュウ ストーブ ニール バギー ブラシノキ キャップ ノータム ソリティ デプロ ハラッパー ナイル クロスプレー クロスワード

異類婚姻譚(いるいこんいんたん)とは、人間と違った種類の存在と人間とが結婚する説話の総称。世界的に分布し、日本においても多く見られる説話類型である。なお、神婚と異類(神以外)婚姻とに分離できるとする見方や、逆に異常誕生譚をも広く同類型としてとらえる考え方もある。

よく知られている例としては、ギリシア神話ではキューピッドとプシケーの物語やゼウスが乙女の元に白鳥や水滴と化して訪れる話、グリム童話では『かえるの王さま (KHM001)』、日本でいうと鶴女房などが挙げられる。 これらは古代の族外結婚による信仰、生活様式の違いに起源を求める説がある。

子孫が残る伝承のものには、子孫にとって都合の良いもの(統治の根拠とする始祖伝説等)が多い。例_天人女房系 羽衣伝説や清王朝始祖、女真族のプフリヨンスの伝説等。日本神話におけるホオリとトヨタマヒメの結婚もまた異類婚姻譚であり、2人の子孫が初代天皇となっている。

関敬吾をはじめ、異類婚姻をテーマとした研究は多くなされており、様々な角度から分析されている。分析の仕方により、分類の仕方も変わってくるが、ここでは、例として関敬吾による分類を挙げる。なお、この分類上で言う「動物」には、慣例的に、架空の山姥、鬼、河童、天人等も含まれる。

大まかに六つの要素で構成されている。

援助 - 例:動物を助ける。
来訪 - 例:動物が人間に化けて訪れる。
共棲 - 例:守るべき契約や規則がある
労働 - 例:富をもたらす。
破局 - 例:正体を知ってしまう。(見るなのタブー)
別離

異類婿
人間の女と動物の婚姻。何かと引き替えに、女性が一種の人身御供として異類と結婚することになり、女性自らが婚姻が破綻するように画策することも多く、結局は破局で終わることが多い。

蛇婿 - 水の世界に関わる。例:あかまたー
猿婿 - 労働力をもたらす。
犬婿 - 儒教系の思想が底にある。例:南総里見八犬伝。
河童婿 - 干ばつに困り果てた百姓が、河童のおかげで田に水が入り、その礼に娘を嫁にやる約束を守らなくてはならないが、娘はひょうたんを持って行ったおかげで河童の嫁にならずにすむという話が有名。全国にさまざまなバリエーションがある。

異類女房
人間の男と動物の婚姻。異類婿よりは比較的悲惨でないものが多い。見るなのタブーを犯すことで最後には離別する話になっているものも多い。

蛇女房
正体がばれた後の別離の際、子供に乳代わりにしゃぶらせるよう自分の眼を与えるが、男はその眼をなくしてしまう。妻はもう片方の眼も与えて盲目となってしまう。そしてその眼を床の間に飾ったことから男の家は栄える。
その後のバリエーションとして眼を盗んだ相手への復讐として洪水、地震を起こすものと、目が見えなくなったから代わりに鐘を鳴らしてほしいというものがある。
竜宮女房
竜宮の姫との婚姻。その後殿様(庄屋)により突きつけられた無理難題を妻に頼って解決する。
亀、魚など海洋系の動物が変身したものを含んで言う場合もある。
魚女房
蛤女房 - 蛤女房、蛤の草紙(『御伽草子』所収)
亀女房 - 例:浦島太郎(明治時代になるまで、乙姫は亀であった。)
鶴女房 - 例:鶴の恩返し、木下順二の『夕鶴』
天人女房 - 白鳥処女説話(子供が残る。)
狐女房
例:信太妻(安部晴明)、日本霊異記(キツネ#日本の説話の中のキツネ参照)
稲荷信仰も関係していて、多くが豊作となる話である。また別離後に稲荷神として奉られる例もある。
蛙女房
雪女
木霊 - 例:青柳のはなし
山姥、二口女 - 例:民話の『食わず女房』

他界との関わり
日本には、他界(死後の世界、神の世界等)と関わると何事か幸を得るという感覚が古来あったようで、神話を始め様々な説話にその思想的痕跡が見られる。異界と関わり幸を得る方法としては

相手を屈服させる
相手と婚姻する
他界に行く
他界からものを持ち帰る
などがあり、異類婚姻譚は文字通り婚姻により幸を得る部類である。

中国
日本同様狐女房を始めとして多数存在し、日本での説話の元になったと思われるものが多数ある。

幽霊との婚姻 - 日本には余り見られない例。子が生まれたり、生き返ったりするパターンもある。
蛇女房 - 白蛇伝

ヨーロッパ
ヨーロッパでの異類婚姻譚に登場する動物は、元が魔法や呪いで姿を変えられた人間とされるものが多く、(ギリシャ神話等では神の化身も又多い。)異類の本質が動物そのものであることは少ないという指摘もある。

キューピッドとプシケー型 - 男神が女性の元に通う。好奇心などに負けて、女性が男性の正体を調べてしまい(顔を見る、灯りを付けるなども含めて)、破局を迎える
白鳥処女(スワンメイデン型)- ゼウスなどの男神が動物などに化して、乙女の元へ
美女と野獣
かえるの王さま
メリュジーヌ
セルキー - 天人女房系
フルドラ