英語でいうethnic group、あるいはロシア語やドイツ語などでエトノスといわれる用語は元来、古代ギリシアでポリスの住民であるデモスに対して、ギリシア人でもポリスを形成していない地域の住民や、非ギリシア人といった周辺の住民の種族的単位を呼んだ言葉に由来する(特にアリストテレス以降は非ギリシア人に限定して使う傾向が強まるという)。
この、ギリシア語ethnos、形容詞形ethnikosは旧約のギリシア語訳聖書で、非ユダヤ人、異教徒を指すヘブライ語の訳に使われ、中英語でも、異教徒、異邦人を指した。そこから、近世には、英語では、アイルランド人などを、やや軽蔑的なニュアンスで呼ぶ言葉としても使われた。たしかに元来のギリシア語のエトノスには、より一般的に或る一定のグループをなす人々、種族、民族、国民を指す意味があるのだが、民族学が命名される際にこのギリシア語が復活されたとき、そこに単に民族というだけでなく、異教徒、他者としての異民族というニュアンスが入っていたことは否めない。
大航海時代とそれに続く西欧による植民地化によって、西欧はさまざまな異なる文化・習慣を持つ人々に出会うこととなった。のとき、これらの異なる、西欧的な基準で「文明」を有しないとされた人々を指す言葉として使用された言葉の一つが、このethnicという語であった。まさしくエスノロジー(文化人類学)の対象がエトノスだった。
しかしエトノス(エスニック・グループ、エトニ)の用語が当初から用いられたわけではなく、文化人類学、民族学は、その対象となる人間集団を、多くの場合は、nationやpeople、volkの用語で呼んだ。明示的に、ネーションと区別された概念としてエトノスが導入されたのは比較的近年のことである。とりわけネーションがいまだ国家との一体性を強い含意としてもたなかったナショナリズム以前の時期には、ネーションやレースは、しばしば単にエスニックな意味合いで用いられた。
エトノスが社会科学の概念として導入された意味のなかには、とりわけアメリカや中国、ソ連などの「多民族国家」において、下位区分であるethnosが民族自決権を持たないという含意がある。もし、個々のethnosが民族自決権を持つなら、個々のethnosがnationとして独立することを主張することになる(このイデオロギーをエスノ・ナショナリズムethno-nationalismという)。ソ連や中国のような多くのエトノスethnosを包含した国では、ethnosに民族自決権を認めるならば、国家が分解してしまうという危惧が存在していた。このゆえに、nationと区別してethnosという語がさかんに用いられるようになった。
非西欧の異民族、国家内部の少数民族に対する、こうした、ナショナルな主権、政治性、民族自決権を認めない、あるいは度外視して扱う、という差別化の視線は、そうした文化人類学的な、非政治的という形での植民地主義的・政治的な視線の対象であった諸「民族」がナショナルな意識を身に着け始めるにつれて動揺し始める。
そこで、代わってえがかれるようになる図式のひとつが、エトノスが政治的に「進歩」してネーションを「獲得」するという進化図式であった。しかしこの図式は、エスニックなものをネーションの「基盤」となるものとみなすという点で、ネーションについて批判された「本質主義」をエトノスに転化するものであると同時に、裏口から「政治的な成熟度」のような西欧的な「文明」によるランク付けを保存する面もある。
ある人間集団をエトノスとして見つめ、ネーションとしてみないということは多くの場合、非常に政治的な、しばしば差別的な含意を持っているが、文化人類学的な分析視点にネーションがなじまない、過剰な概念であることは事実であり、また近年では、かならずしもナショナルな主張を行わないエスニック・グループも多く(国家・ネーションが、マルチエスニックであることを要求し、それが擬似的なエトノスとしての一体性・均質性を志向することを批判する、反同化主義でかつ非分離主義)、この区別の意義を単に政治的に批判することはできない。
社会科学におけるエスニシティ、エスニック・グループの概念
エスニック・グループはもっとも曖昧な形で定義すれば、同族意識を持ち、同種の文化・伝統・慣習を有する人間集団である。しかしネーションについてと同様に、想定される出自・血縁関係や、同族であるという信念・伝承は、必ずしも客観的な事実には基づかない。ネーションとは異なり、エスニック・グループは、統一された政治的共同体を形成していることは必須ではなく(ネーションの場合、そのような分断状態は、強い例外状態の意識を呼び起こす。多くの憲法等に見られる「不可分の」ネーションという用語が典型的である。またこのことは、ネーションと特定の国土・ホームランドとの関連性をも示唆しているかもしれない)、その為の権利・主権があるとも通常はみなされない。(ただしエスノ・ナショナリズムは、エスニック・グループがネーションである、まだはネーションであるべきと考える)
1969年にフレドリック・バルトは『エトノス集団(エスニック・グループ)と境界』をあらわし、エスニック・バウンダリー論を主張した。かれはエスニック・グループを、相互作用の中で相手と自己を差異化する場とともに生起する帰属意識をその本質であると規定した。このとき、エスニック・グループの間の差異は、社会的に維持される相互作用の「場」であって、客観的・物質的な境界が存在する必要はないとされた。
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このエスニック・グループの概念は国家の中の少数派諸グループを語るものとして七十年代に一般化した。しかし出自意識を伴う文化的マイノリティ・グループをエスニシティとして規定すると、同じ論理でネイションの多数派グループもまたエスニシティとして規定されることは避けられない。こうして、エスニシティ概念は、マイノリティ・グループばかりでなく、多数派にも、また国家を横断して存在するグループにも、次第に広く、文化的共通性と帰属・出自意識に基づく集団に援用されるようになった。
日本語の民族は、訳語としてはnationに由来しながらも国家の存在を前提としないため、多くの場合には、このような意味でのエスニック・グループと一致することとなった。
古典的な文化人類学のモデルにおける文化=習俗集団は「歴史を持たない」、「安定して孤立した」、社会として、自己完結的なシステムをなす共同体としてイメージされることが多かったが、エスニック・グループ研究の知見からフィードバックされ、従来のそうした無文字社会もまた、動的な相互作用の中で、むしろアイデンティティ意識によって成立していて、「本質主義的」な規定の困難な面もまた存在することが明らかになった。とはいえ、環境に適応して分化した生活様式という従来言われたような意味でのエスニック・アイデンティティの「基盤」がまったく無視できるということではない。