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回紇は鉄勒諸部の一つであり

バイカル湖南方で遊牧を中心に生活していた。8世紀半ばに後突厥を滅ぼし、また唐を支援して安史の乱を平定するなどの軍事活動を行うと同時に、経済活動も活発に行われ、渤海とは経済・文化方面での交流が行われていた。回紇商人の足跡は上京府以外にも、率賓府のような辺境地域でも遺物から認められ、古ウスリーク城からは突厥文字が刻字された回紇人の遺跡が、沿海州のチャピゴウ河岸の渤海寺院跡から出土した景教の陶牌からも回紇人の渤海に於ける活動を示している。しかしその文化・経済交流も840年に回紇の政権崩壊により消滅してしまった。

渤海建国当初は黒水靺鞨諸部は独立した勢力を有しており、また唐との対立と、周辺諸部に対する支配強化を推し進める渤海は黒水靺鞨に対し懐柔策を採用した。当初は突厥の支配を受けていた黒水靺鞨であるが、次第に突厥の支配を脱し唐へ帰属する路線への転換を図った。722年に首長の倪属利稽が朝見し、勃利州刺史に冊封され黒水府を設置するに至ると、唐と黒水靺鞨による渤海挟撃を伊具した大武芸は黒水靺鞨に出兵している。
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大欽茂が即位すると唐との大幅な関係改善が見られ、必然的に黒水靺鞨との緊張状態の緩和を見るに至った。大仁秀の時代になると、渤海により海北諸部の討伐が行われ、黒水靺鞨は渤海に服属し、独自に唐に朝見を行うことはなくなったが、渤海の統治に対する反乱が発生し、黒水靺鞨中心部に渤海の行政機構を設置し、直接統治を行う事は最後まで実現しなかった。

渤海末期の9世紀になると、黒水靺鞨は新羅との連盟を模索するなど自立の道を探るようになり、また渤海の衰退により黒水靺鞨に対する統治が弱体化したことで、最終的には渤海の従属的地位を脱し、924年には後唐に使節を送るようになった。

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2009年05月31日 09:40に投稿されたエントリーのページです。

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